「弱者の戦略」で今こそ日本に活力を

新事業・新技術・新商品

今日、日本はもはや成長を望めず、人口減少に伴い衰退していくとの論調が巷に溢れている。しかし、自分たちの将来は自分で決めるものであり、やるべきことをやって、次の世代に託したいと思います。そこでランチェスター戦略の「弱者の戦略」を基に日本の処方箋を考えたいと思います。

もはや日本企業に夜明けは来ない?

昨今の日本の状況でも、コロナのワクチン開発や社会全体のデジタル化、産業界では半導体にAI(人工知能)の活用など、もはや周回遅れとの論調の報道を見かけることが多い。さらに高齢化社会、人口減少を迎える日本の国自体が衰退していくのは不可避で、お先真っ暗である。したがって、能力のある若者は早めに海外に出るべき!の様なものまである。

しかし、かつて劣勢であった「弱者」が急成長して「強者」になりトップに躍り出ることはいくらでも例があることです。
世の中が変わったり、戦い方のルールが変われば、「強者」も「弱者」に転落します。特に近年は世の中の動きが早く、後を追う後続者が有利なこともあります。先行者は試行錯誤しながら、順番にステップアップしてようやくたどり着いた所でも、後続者は途中経過をすっ飛ばしてすぐ後に着ける事もあります。
そこで日本社会や日本企業を「弱者」と捉え、今一度「弱者の戦略」の視点から浮上の起点とすることを自分なりに考えてみました。

日本活性化のための処方箋

考えるべきことは、日本が低迷しているダメな理由や出来ない理由をあれこれ探して騒ぐことではない。今、出来ることを考えて着実に実行することに尽きると思います。
勝つべくして勝つ!これを繰り返して少しずつ発射台を積み上げた上で、思い切ったロケットの発射が必要です。

しかし、確実に勝つには綿密な戦略の下、順序を考えながら勝てる分野を絞り込み、勝てる相手に対して適正な方法で集中的に攻めることが必要です。
即ち、決して消耗戦や全面戦争をやってはならないことになります。これらの考え方を体系化したものがランチェスター戦略の弱者の戦略です。

ランチェスターの戦略から「弱者の戦略」とは

ビジネスの世界で売上やマーケットシェアなどが高いところが「強者」であり、低いところが「弱者」となる。「弱者」が「強者」に対する負けない戦い方として、日本のビジネスの場ではランチェスター戦略が根強い人気がある。もちろん、これが流行してからも30年〜40年の年月が経っているため、細部は様々に変遷しているが基本的な考え方は同じです。このランチェスター戦略の1つが「弱者の戦略」である。もちろん、これを駆使しても必ず「弱者」が勝てるとも限らないないが、少なくとも活用しなければ勝つことは極めて困難となる。

「弱者の戦略」を十分に使いこなすためには、自分が「弱者」であることを十分に認識することが前提となる。いわば自分の負けを認めることから出発する。
しかも、誰に対して、何が、どの位負けているのかを客観的かつ具体的にゴリゴリと負け戦をほじくり返すことになるので、心理的にはかなり辛い。
過去に栄光の時代を築いた組織や地位のある人が関係すれば尚更難しい。

日本は地政学的にも中国、ロシアと国境を接し、太平洋を挟んでアメリカとも接するため、四方を世界の大国と対峙する状況です。これらのメンツでは間違いなく、日本は弱者です。
実例を交えて「弱者の戦略」の効能を説明します。

歴史から学ぶ

(1)電話やインターネットの普及
世界的なベストセラー「ファクトフルネス」によると2017年時点で全世界で携帯電話を持っている人は65%、インターネットを利用できる人は48%だそうです。1878年ごろからアメリカを皮切りに電話事業が開始されて以来、先進国を中心に電話線が野を超え、山を超え、海を渡り延々と伸ばし、数多くの交換設備も設置して、電話の普及を促進してきました。

しかし、今日の途上国と言われる国々では、もはやその様な努力をせずに、無線基地局をいくつか設置することでその周囲の数多くの人々が携帯電話の恩恵を得ることができます。同様にインターネットで世界中の情報にアクセスできます。
さらに現在インターネットにアクセスできない残りの40億人についても、人工衛生の基地局による”宇宙インターネット”が運用されれば、もはや多くの無線基地局も無用になり携帯電話が利用できます。

この様に後発の途上国であっても、電話線を引くところから先進国を後追いすることなく、最新の携帯電話/インターネットの利便性を享受できる様に、技術や世の中の刷新によりキャッチアップ可能となる場合がある。

(2)中国の経済発展
中国の近年の発展の歴史は日本にとってもヒントになる。
現在、中国は世界経済で大きな地域を占めているが、20年前までは先進国に対して、
周回遅れどころでなく、途上国そのものであった。

転換点となったのは、2000年12月の中国WTO(世界貿易機関)への加盟により、中国国内市場の解放で外国企業を誘致することに成功し、技術や資本の蓄積が可能となったこと。
下図は日本、中国、米国のGDPの推移です。(単位は10億USドル)
中国は2000年頃からGDPが上向き始め、2010年には日本を逆転し、2020年には日本の3倍近い規模にまで急成長しています。
一方で、日本は1995年からほぼ横ばいの低迷ぶり。

ここからが肝心。中国がこれほどまで発展する様になったのは、「あれもダメ、ここも先進国には追い付けない!こんなことはできない。」とできないことを数えたのではありません。

1985年頃から唱えられたと言われる鄧小平による先富論。これは毛沢東時代の大躍進政策やその後の文化大革命により疲弊した経済の立て直しに「改革開放の基本原則」です。

国全体を富国化することは計るのではなく、豊かになれる人、豊かになれる地域に先に豊かになってもらい。その後、これを拡げていく考え方です。
そのため、重点地区を経済特区として恩典を与え、重点産業を国営から民営への転換を進めた。
これは正に弱者の戦略の「局地戦」に他なりません。

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