幕末・明治期に欧米に単身留学した若者によって、日本の近代化が推し進められた。
そんな”若き侍”を現代に甦らせ、停滞した日本を生まれ変わりさせる。
そんなプロジェクトが実現できないだろうか?
東京都港区の修学旅行先の波紋
2023年9月1日 東京都港区は「区立中学校10校の2024年度の修学旅行先を
シンガポールとする旨を発表」これに対して、各マスコミやSNS上で賛否が沸き起こった。
主な論点は次のようなものであった。
- 修学旅行先としてシンガポールの適性
京都や奈良ではなく、なぜシンガポールなのか
国内でも十分学ぶことはあるのでは
シンガポールで体験できること、学べること - 旅行代金のコスパまたは税金の使い道
3泊5日の日程で一人当たり67万円は妥当な金額か
特に区の負担金が60万円にも上る
税金の使い道として、さまざまな行政施策のなかで突出してないか - 港区内外の格差、不公平感
港区以外の自治体で同様のことは、実現が極めて困難
わざわざ格差を拡げることはないのでは
横並び意識の弊害
先に挙げたマスコミやSNSでの賛否は、ある種の”横並び意識”が感じられます。
発言者が属するコミュニティや立場のなかで、「横並び環境を維持したい派」
と「これから横並び環境にしたい派」がベースとなって賛否を述べる
構図が透けて見えるように思います。
横並び意識の中では、概して団体行動、決めごとに準じた考え方、過剰な他人と比較、
個人の個性や能力よりも全体調和を重んじる傾向があります。
振り返って、先進国のなかで唯一長期間にわたって低迷している日本。
サッカーで例えるなら、自陣でパスを廻しているだけで全く攻められない状況です。
こんな時、必要なのがドリブルで単身でも敵陣に切り込めるフォワードです。
これをきっかけに他の選手も触発されて、積極的な動きをして得点のチャンスが
生まれる。
修学旅行の役割や意義は学校教育においてもちろん重要です。
しかし、国際感覚を身につける云々の理由付けは横並び意識の延長線に見えます。
現代の”若き侍”を育成する
今、必要なことはみんなで短期間、無難に海外を体験することではありません。
幕末・明治期に欧米に渡った若者のように、1対1の勝負ができる人材養成です。
単身で敵陣に切り込み、全体を触発できるポテンシャルが求められます。
そのためには、夏休みの間とか、3か月ではなく、やはり長期間の留学となります。
現在でも公費でサポートが受けられる留学制度は、多くの自治体で用意されてます。
しかし、ここでも不公平感がないように1人でも多く留学させる配慮からか
”広く浅い支援”となり、現地でしっかり国際人材を育てるのではなく
「行政は海外体験の機会を設けたから、あとは個人でやって!」の様に見える。
プロジェクトの提案(もちろん個人的な希望)
そろそろプロジェクトの骨子を述べたいと思います。
- 高校・大学の長期にわたる留学で現地のコミュニティーに根差す
- 単身での現地適合化を優先した公募人選(学力・メンタル・フィジカル)
- 留学費用は学費+基本的な生活費で本人負担が最小限となるようにする
- 現地でのサポートは限定的とし、独力で問題解決できる力をつける
- プロジェクト費用は自治体に加えて広く企業協賛を募る
現在の日本の現状について、マスコミ等ではIT産業では周回遅れだとか、
内向き志向とか、日本の得意分野でも中国・韓国にどんどん追いつかれている
だの悲観論のオンパレードです。
しかし、幕末・明治期の日本は欧米諸国に周回遅れどころの差ではなかったハズ
やるべきことは現状を嘆いたり、一発逆転を妄想することではありません。
将来を見据えて、今できることを着実にやり遂げることしか、明るい未来は
やってきません。
そんな将来のため、現代に”若き侍”を育成することは大変意義があると信じます。
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